プロフィール

【小学校〜高校】不自由さ、命の使い方、青春を謳歌!

【小学校:自由と不自由を体験する】

小学校入学。
内気でじぶんから声をかけられない子どもでした。

やりたい習い事は、兄が失敗したことを理由に却下され、
じぶんで決めた書道。
書は、書けば全国で賞をいただき、上野の森美術館に展示されたこともある。

図書室が心のより所。
田舎の小学校の図書室は誰もいないのがたまらない。
貸切状態のおひとりさまを楽しむようになったのもこの頃かもしれません。
そこで、占いのホント深層心理テストにはまる。
それから、人をひとつのデータとして見る癖がつきます。
「占いは、統計学である。」
という視点をこの頃すでに身につけてました。

9歳10歳が人生で最も輝いていた時代。

心も身体も共に「自由」であった。
すべてにおいて表現できることに喜びを感じていた。

11歳、足の怪我をし、入退院と松葉づえ生活がはじまり、内気が増す中、
月日は経ち、中学2年までに、2度の手術。
中学は半分以上登校できず。

書道も身体の重心がとれなくなり、思うように書けなくなり、筆を折ります。

基本的に学校生活になじめない一匹オオカミ。
思春期の女子グループも
トイレに一緒に行く意味もわからないまま
「仲がいいとトイレのタイミングも一緒なんだ!」
と、不思議な生理現象としか思わずに、
「嫌がらせ?」と「いじめ?」の行為も受けました。

学校の先生方の依怙贔屓的な応援など
基本的に、大人がわたしに構いすぎるのが当時は大きなストレスと感じる子ども。

父の描いた高学歴の夢のレールから外れて、
「何のために生きているのかわからない。」
と、ひきこもるようになる。
その頃は桐箱というよりも、棺に入ったような気分でした。

【中学校:いのちの使い方について考える】

そんな中、運動会や遠足を共に見学し、
行動を共にしていた幼なじみの男の子が持病の心臓病で中2で亡くなります。。

葬儀で彼のお母さんに
彼の余命は7歳だったことをはじめてききました。
それが14歳まで生き、
そして、大人になる未来を見続けていた。
残された文集には
「公務員としてみんなの役に立ちたい」と記されてた。
病床で「わたしがどう過ごしているのか」を口にしてたと教えてくれました。

わたしはその話を聞いて、とても恥ずかしくなったのを覚えています。
一生懸命、生きているのか?
と問われた気がしたから。

それから
いのちの使い方
恥じない生き方
について、考えるようになります。

その頃、身近なひとが自殺を図ることが続きました。
そして、心と身体に傷がついたひとが、
なぜかわたしのところへ逢いに来るようになります。

わたしの何がそうさせているんだろう?

高校にも進学せずに
ひっそり絵を描いて生きていこうと考えてた矢先に担任から想定外の提案をされる。

【高校:青春を謳歌すると決める】

仙台の高校に進学することをじぶんで決める。
夢の新幹線通学。
高額交通費と学費を出してもらう代わりに決めたこと。
それは
高校生活を楽しむこと。

決めたように
箸も転げるくらい青春を謳歌。
はじめて皆勤賞!
彼氏もできて、勉強そっちのけで過ごす。

高2の段階までは、国立医学部も目指せる成績だったが、
受験よりも安心を取って推薦に切り替える。

 

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